岩崎 與八郎
資源は有限。観光は無限。
岩崎 與八郎
Yohachiro Iwasaki
創業者

創業者・岩崎與八郎 88年の歩み

若き日の岩崎與八郎
鹿児島県曽於郡岩川(現曽於市)で生まれる。母一人子一人で育ったため、母は口やかましいことは何一つ言いませんでしたが、早く独り立ちできるよう厳しくしつけられたことが私の将来に大きく役に立ち、今でも母に大変感謝しています。地元の岩川小学校高等科を卒業、軍人を志し陸軍幼年学校を受験。しかし、体格検査で不合格となり事業家をめざしました。思えば軍人にならなかったことによって、今日の自分が在り、運命のいたずらに今更ながら驚嘆しているところです。

事業家としての第一歩

枕木積み込み作業風景
志布志線の鉄道工事に伴い、鹿児島で初めての枕木納入業者になろうと決心。鉄道省への運動を始めました。しかしながら相手にされず、失意のうちに月日がたっていきました。そこへ、私にとって一世一代の転機となる関東大震災が起きた訳です。忘れもしない大正12年9月1日、私が満21歳の時でした。その年、鉄道省より許可がおりて納入を開始、その後自他共に認める日本一の枕木納入業者となりました。これが私の事業家としての第一歩であり、今日のグループ傘下88社の礎となった訳です。

豊富な自然を見出し観光事業へ

開設時の山形屋バスセンター
戦前は木材業を基盤に、国策に添って重工業、造船業、鉱山業など工業を中心とした事業や郵便逓送事業を推進してまいりました。戦後、自分の事業も含めて鹿児島県がこれから進むべき道を考えた時、県内の豊富な観光資源の活用に着目しました。丁度この頃事業不振な地元のバス会社や民間鉄道を請われて引き受けました。地域内の交通手段を提供するという従来の経営手法だけでなく、バスを県外客を引いてくる道具(線)として活用し、併せて県内の観光資源(点)を開発し、点を線で結ぶ構想を描くに到りました。

南九州の観光開発へ ~観光開発の拠点『指宿』

指宿観光ホテル
当時まだ名もない湯治場にすぎなかった指宿に、狂気の沙汰と言われながらも、昭和31年指宿観光ホテルを建設して、営業を開始。売出しには人気作詞家などに地名を織り込んだ歌を作らせたり、日本一のジャングル浴場を作るなどの経営努力が実り、指宿の名が全国に知れ渡るようになりました。その後、外国から設計士を呼び本格的なリゾートホテルを作り、東洋のハワイとして新婚旅行のメッカとなり、指宿は日本におけるリゾートの草分け的存在となった訳です。そして、佐多岬、開聞山麓、屋久島、種子島、伊豆・石廊崎、箱根、大分県久住、沖縄と多角的な観光開発に取り組んでいきました。そして、1989年7月には種子島・屋久島航路にジェット・フォイルを就航させ、その早くて快適な船旅が種子島における当社のリゾートホテル及びゴルフ場建設と相俟って、両島の観光の担い手として大きな関心と期待が寄せられています。

国際化への道

ピーターセンQLD首相と
私が鹿児島商工会議所会頭に就任した折、地元の商工業に密着した日常的な活動に加えて、もっと海外に目を向けた施策、即ち鹿児島を「日本の玄関口」にしようと考えました。先ず鹿児島港を国際港にすべく、豪華客船キャンベラ号の鹿児島寄港実現に奔走いたしました。結果、同船はもとよりクィーンエリザベスII世号など最近10年間でも90隻の各国クルーザーが入港するようになりました。また、国際化推進の一環として鹿児島市とオーストラリア・パース市との姉妹都市盟約の橋渡しや、鹿児島から香港への国際航空路線乗り入れなど鹿児島国際空港の実現に尽力してまいりました。

世界一を誇るリゾートづくりへ

豪州キャプリコーンリゾート
国際観光船の寄港誘致でオーストラリアを隈なく回っているうち、キャプリコーンコーストの魅力のとりこになり、ここならワイキキ以上のリゾートになると思い、また日豪親善の一助にでもなればとキャプリコーンリゾートの開発に着手しました。世界一のリゾート地を目指すこの計画は、私のライフワークの一つとなってしまいました。

岩崎学生奨学会

岩崎学生寮
私は本来の事業の推進する傍ら、若いときから青少年奨学育英に関心を持ちつづけて参りました。昭和16年、現県立岩川高校の設立のために私財を寄付、昭和18年には現国立鹿児島大学工学部、そして医学部の開設や大学昇格の際にも寄与してまいりました。また、鹿児島県が中央から遠隔地にあるという地理的不利、そして経済的に恵まれぬ実情の鑑み、地方から上京進学を志す前途有為な学生を援助するため、財団法人岩崎奨学会を設立し、東京に学生寮を建設。すでに800余名の若者が巣立ちました。そして、装いを新たに1989年度より本格的に外国からの学生、また新しく女子学生も受け入れ、国際的学生会館としてスタートしました。その他、奨学金制度、留学する者への資金援助、また市町村への奨学育英基金や優秀な県下中・高校生へ卒業時に授与する岩崎賞の設定など行なってきました。いずれも多数の有益な人材が国内外・各分野で活躍しておられ、その成長振りを聞くのが今では私の最大の楽しみです。